6月15日のMicrosoftのナデラさんのpostに触発されてブックレットを作りました。よかったらお読みください。
第六章 固有の速度
効率化すると壊れるもの
人間の社会には、効率化すると壊れてしまうものがあります。
「速さ」は、近代*29がもっとも愛した美徳のひとつでした。より早く、より多く、より無駄なく。この三拍子が産業を伸ばし、寿命を伸ばし、知の地平を押し広げてきました。だから、速さを疑うのはどこか後ろめたい。立ち止まろうとすると、自分だけ時代から降りていくような心細さすらあります。
それでも、ふと気づく瞬間があります。速くしたはずなのに、何かが薄くなっている。手元に残るはずのものが、手触りを失っている。かたちは確かにそこにあるのに、中身が抜け落ちている──そういう「壊れ方」をするものたちが、確かにあるのです。たとえば、こんなものたち。
ケア・教育・弔い・対話・信頼形成
熟達・共同体・違和感の共有・子どもの成長・自然との関係
速度を、自分では決められない
並べてみると、共通点がぼんやり見えてきます。どれも「人と人のあいだ」や「人と世界のあいだ」に起きる出来事だということ。そして、その出来事の主体が、自分ひとりではないということです。ケアは、ケアする側だけでは完結しません。教育は、教える者の意志だけでは届きません。弔いは、亡き人と、残された人々と、流れていく時間との、三者の合作のようなものです。
つまりこれらは、自分の意志だけでは速度を決められない営みなのです。相手がいて、関係があって、その関係が熟していくための独自の時間がある。脳の神経のつながりが、新しい結びつきを得るのに時間を要するように*30、信頼や習熟や、心の傷が癒えることにも、生理的とも言える固有のテンポがあります。

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