オミクロン株の報道から連想したことが何とは無しに腑に落ちたのでとりあえず自分用に書き残しておきたいと思いました。湯船に浸かりながらぼ〜っと考えてたことです。
沖縄で新規感染者が急拡大というニュースを見ていました。NHKのニュースを見ながら、この先ずっと新規の変異株のニュースが続きそうだなって思いました。それくらい人類のウイルスに対する解像度が高まったという訳です。
これまでは見えてなかっただけで、人類はいつでもウイルスに感染*していた。
いや、この言い方は正しくなくて、むしろ人間は常にウイルスの海を泳いでいるということなのではないか。人間の生命に悪さする時もあればそうでもない時もある。ただそれだけ。
人間が言語を獲得するその遥か昔からウイルスという海に漂うヒトはウイルスを媒介にして身体的に緩やかな同期をしてきたのではないか?
言語的にコミュニケーションし合うのと同じようにウイルスを媒介にして非言語的な共時的コミュニケーションを行ってきたのだろうと感じる。
すべての細胞は細胞から生まれるという意味で、生命の始まりから絶えることなく連綿とDNAを媒介にしながら続いてきた鋒(きっさき)の、特にホモサピエンスとしての鋒を生きる僕らは正しく歴史を受け継いでいる。DNAが歴史的な縦のコミュニケーションを媒介しているとしたらウイルスは同時代的・共時的なコミュニケーションによってヒトそして地球上を生きる生き物たちと緩やかな同期を実現させているのだろう。
小さな小さな粒としてのウイルスというよりも総体としての波であり海なのだ。それにより緩やかにつながりフィジカルに同期していくヒトと生き物たち。そういうふうに考えると実に生命的だ。
精子の鞭毛に最も近い遺伝子を持つのは発疹チフスの病原体なのだそうです。私たちの大部分はウイルスでできているとも言われています。
ということは縦も横も(つまりは歴史的にも共時的にも)ウイルスという巨大な海を漂うのが生命と呼ばれる現象なのだということになるんだなぁと、僕はひとりで腹落ちし、その生命観・生命感に感動している2022年の仕事初めの夜なのでした。
以上、妄想でした〜^_^
ちなみにFacebookプロフィールのところに書いていますが、学生時代からの僕のポリシーは「妻と地球にパラサイト」でありますw
*感染
感染するという言葉が成り立つのは感染してないことが通常状態であるとの前提に基づきます。でもヒトは常時ウイルスに「感染」している。ウイルスとともにある。もしくはウイルスの海を生きている。とするならばこれまでの感染という言葉を再定義する必要が出てきますね。

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