例年元旦の新聞各紙を買っていますが、気付いたことを2点。
1. デイリースポーツは安定の阪神ネタです^^
(そんなん当たり前やろ〜〜)
2. 各紙の分厚さが減っている。(広告などいろんな問題があるのだと思います。スポーツ紙を除く各紙、明らかに薄くなってる気が…気のせいでしょうか…)
あ、あけましておめでとうございます。11月に仕上げた例年の年賀状を今年はこれから書きます^^;
今年は7名の写真でお届けしますのでお楽しみにw
色々考えるところはありますが、今年は福岡先生の動的平衡がいろんな場面で名を変えて登場する一年だったように思います。
で、最近考えていることですが、3つあります。
1. リコピン、カノン、ライカ、ジョータと僕らは同い年ぢゃないか?問題
前にも少し書いたのですが、ジョータは2歳で僕は43歳。自明にも思えるのですが、僕らは宇宙創生から途切れることのない連鎖の鋒(きっさき)に生きています。ということは、僕らは宇宙の始まりからカウントすると同い年。まぁ、バカの戯言のようにも思えるのですが、僕が43でジョータが2歳11ヶ月であるのは母体の外に出た瞬間からカウントするという世間の約束事によるものでしかないわけです。
そんなん当たり前やろって感じではあるのですが、絵本「ぼくは」を読んだり、ルドルフシェーンハイマーの話を読むにつけ同い年だなぁ。楽しいなぁと思うのです。
2. 「上から目線問題」の根深さ(?)面白さ
「なんか、さっきの発言、上から目線だよね〜」
そういう時は決まって「下の人」が積極的な発言をした場合に発せられます。「上の人」が同様の発言をしてもそんな風に揶揄されることはありません。上司-部下、演者-聴衆、年上-年下といった固定化された立場が反省されることがない時に発せられると考えています。日本では年齢における固定化された立場の上下関係は強固なもののようです。
ぼくは年下の方でも「さん」付けしますし、誰に対しても基本的に同じ態度をとるようにしています。それを許容してくれない人やくれなさそうな人は苦手です。お前バカか?って言われそうですが、社内の人を社外の人に紹介する際も「さん」付けしてしまいます。学生時代が長かったり、転職をしたりするのでメンバーシップの流動性を信じてしまっているからでしょうか?
横道に逸れましたが(いつもですが)、年齢とか立場を無化して考えられるようになると「上から」概念が雲散霧消します。つまりは「上から」は発言者の属性ではなく、聞き手や組織の持っている権力関係を炙り出すリトマス試験紙だと捉えることが可能です。「型」に揺さぶりをかけるアラートと解して良さそうです。
3. これからの学び方
甥っ子が高校受験に受からず、行くところがなかったことの結果として通信制に行くことになり、甥っ子は自分で時間管理をし、やりたいことをやりたいように学び、自身の裁量でよく遊び、そんな生活を続けてきました。まもなく大学に入る年齢ですが、大学校に行く予定のようです。そんな中、N高や、0高のはなしも聞かれるようになってきました。
リコピンたちも普通に高校に行くことなんてなさそうだなぁと思うわけです。カヤックさんの「旅する支社」ではないですが、リコも2〜4ヶ月ごとに好きなところで勉強すれば良いんぢゃないかと思ってます。
春は福岡
夏はパリ
秋はオーストラリア
冬は三鷹
みたいな。でも実際そうなるんだろうと思います。教育に関するラディカルな考えは15年ほど前の甲野善紀先生の本にも影響されてるかも。(「古武術からの発想」)
机上での学習と実地とを3:7の感じで色々と若い時からやればいいんだろうと思います。僕らは幸いにしてそんな感じで育ててもらったのですがそれを加速させたいなぁと。
こんなことを書いている側でライカが新年の挨拶をGoogleホームにしている新年です。
皆さま、よろしくお願いします^^

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